ミユ 〜小学校編〜ミユは単なる幼馴染のお姉さんだったはずだ。 少し、前までは。 俺が小学校の頃、アパートの隣の部屋に移り住んできて、それなりに仲良くしてた。 いや、それなりじゃないな、少なくとも俺の方はミユに異常なくらい懐いていた。 なにかにつけてべったりとミユにくっついて、学校帰りは手をつないで帰ったりしてたから、ませた友人にはしょっちゅうからかわれていた。 それでも、ミユの後をついてまわる事をやめなかった。 ミユはミユで、そんな俺を「かわいいかわいい」と言ってくれて、笑って許してくれた。 考えてみれば、ミユが俺に対して怒ることはなく、そんな寛容さにあの頃から惹かれていたんだと思う。 関係に変化が訪れたのは2年くらい経った頃だった。確か俺が小学校4年生の時で、ミユは6年生だった。 ミユはよく怪我をするようになった。 至る所に青あざを作っていて細い腕が、脚が余計細く見えて痛々しかった。 俺が慌てて「どうしたんだよ、それっ」 と聞くと、すぐに「転んだんだよ」と笑った。 どじだよねえ、私。なんて笑っていたけれど、嘘だというのは明白で。 誰かにいじめられているんだろうか、と色々考えをめぐらせてしまった。 原因がわかるまでに時間はかからなかった。 恨むべくは、アパートの壁の薄さだ。 壁越しに聞こえる、ミユの父親の罵声、何かがぶつかる鈍い音、ミユの妹の泣き声。ミユの母親の甲高い悲鳴。「ふざけるな」とか「誰のために働いていると思っているんだ」とか「もうやめて」だとか、隣で何が起きているのかは推測できて、俺は夜な夜な枕に突っ伏して耳を塞いだ。 ある日、俺の母が見かねて抗議に行くと、その日から罵声は聞こえなくなった。 相変わらず、口論は続いていたようだけど。 その代わり、時おり壁伝いに荒い男の息遣いと女の喘ぐ声が聞こえてきた。 直接聞いていたわけではないから、最初、誰の声かわからなかった。けれど、その声が聞こえてくるのは、決まってミユの母親が夜勤の日で…。 俺は何も聞きたくなくて、強く、痛みを感じるほどに耳を塞いでいた。 壁際に自分のベッドがあるのをこの時ほど恨んだことは無い。 声が聞こえた次の日にはミユはいつもやつれていて、赤くうっ血した跡が首筋に生々しく残っていた。 聞くのが憚れて、じっとミユを見ていたら「おはよう、玲くん」といつもの笑顔であいさつされた。 2歳しか違わないのに、まるで20歳は上の女性を見ているような気分になったのを覚えている。 俺は、まだ小学校4年生のガキだった。 好きな女の子が傷ついても何一つしてやれない、どうしようもなく無力なガキだったんだ。 それは今でも変わらないことだろうけど。 目の前で壊れていく何かを、ただぼんやりと見つめていることしか出来なかった。歯がゆくて歯がゆくて仕方なかった。 守ってやるどころか、心のどこかで父親にあたる男に汚されたミユを嫌悪していたんだと思う。 ミユを腫れ物みたいに扱っていた自分に腹が立った。 そんな日々が何日か続いた。 ミユの両親は離婚することになった。 ミユは母親に引き取られることになった。 アパートも引き払うらしかった。 ミユたちはどこか遠い土地に引っ越すのだと聞いた。 そのことに俺は内心ほっとしていた。 ミユと離れるのは正直、さびしかったけれど、俺の知らない土地で幸せになって欲しいと願った。 思えば、俺の願望はいつも他人任せだった。 |