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つないで手
























いつも俺が待たせてたなって思う。

約束をしてもその時間の数分前からいるやつだから、デートの場所に俺が先に着いたことはなかった。

あいつがいつも待っててくれるってわかってたから、俺は安心してその場所に行けた。
















「千夏!!」

改札口から少し離れたベンチに座っている白いワンピースを目に留めて、俺は声を上げた。

あいつは読んでいた本を閉じて、俺に目を合わせるとふわりと羽が広がっていくように笑った。
安心しきった目が俺だけを見ている。
目を合わせて数秒間。
それだけで俺たちは「恋」をしているんだなって実感する。

「ごめん、待ったか? 待ったよな。マジ、ごめん」

駆け寄って謝罪の言葉とともに深々と頭を下げると、ぽんぽんと柔らかい手が頭を優しく叩く。

「全然、待ってないよ。本読んでたらすぐ時間過ぎちゃった」

嘘だ。

そうやって何でもないような顔を俺の前ではするくせに、陰ではいつも不安に思っていることを、俺は知ってる。
事実、さっき俺の存在に気づく前は、俯いて、本の内容なんか頭に入ってないというほど暗い顔してた。

「じゃあ、行こうか」

俺が手を差し伸べると微笑んで指を絡めてくる。

千夏はキスよりセックスよりこうやって手を繋いでいる方が好きらしい。本人から直接聞いたわけじゃないけど、今までの付き合いで何となくわかった。

『キスは誰とでも出来るけど手を繋ぐのは本当に好きな人としか出来ないんだよ』
っていうのはどこかの誰かの哲学なのか彼女自身の持論なのか知らない。
その説は理解に苦しむ部分があったが、俺も皮膚越しに伝わってくる熱をキスよりも気持ちいいと感じることはあった。



「今日はどこ行くの」

「どこでも。すぐそこに車とめてるから。」

「…え、えと……じゃあね、私、海、行きたい」

うみいきたい。
その六文字の言葉を言いにくそうにたどたどしく紡ぐから笑ってしまった。

「ほんとに好きなんだな」

からかうように言えば、バツが悪そうに視線を逸らされた。

「うぅ、いいじゃない。落ち着くのよ。海にいると」

「わかった。わかった。ほら、車乗れよ」

まだ納得してない顔で助手席に千夏は乗り込む。

こんなやり取りを先週も先々週も繰り返していたような気がする。



千夏は海が好きだった。

思い返せば、俺が車で待ち合わせ場所に来たときや、特にプランも無く会った時は大抵海にデートに行っていたな。

俺と付き合う前はしょちゅう一人で海にでかけてたらしい。
千夏いわく、いい意味で一人になれる場所だそうで。
そんな大切な場所に俺と一緒に行きたいと言ってくれるのは素直に嬉しい。

だから、俺も海が好きだった。



「わあ、風が強いね」

車を降りると、向かい風に煽られて髪がなぶられた。
俺の目の前を行く、白いワンピースがはたはたと翻っていくのが目に眩しい。

「ん」

千夏の横に並んで俺が手を差し出す。

「ん」

差し出した手に熱が重ねられる。

その後は二人、無言で波打ち際を歩いた。

何をするでもない。

特別な会話があるわけでもなく。

時々思い出したようにぽつりぽつりと話すだけ。

千夏は一人で海に来ると一人きりになれるといっていたけれど、今の俺たちは二人きりなんだなって実感できた。

繋いだ手と手に伝わるぬくもりが、「もう離れないよ」という、言葉にならない一つの約束だった。



「……この波は…さ」


「うん?」


「どこから来てるのかな」


「どこからって?」


「うん、あのね、すっごい遠くから来てるのかなって思って。
日本とか太平洋とか越えた、私の想像も出来ないほど遠くから来てるのかなって…」


「どうしたんだよ、急に」


「海をね、ずっと見てたら遠くに行っちゃいそうな感覚になるの」


「……。」


「さらわれそうになるの」


「……千夏」


「もし、私がさらわれそうになったら、守ってね、翔ちゃん」


「……ばあか」


所在なさげな震える瞳と舌足らずに紡ぐ言葉から、逃げるように顔をそむけた。

そのとき、千夏の顔を見つめ返してやれなかったのは後々までに悔やまれることになる。

本当は知っていたんだ。

意味がないなんて笑い飛ばしながらも、言葉にすることを俺はひどく恐れていた。

「守ってやるよ」「ずっとそばにいるよ」そんな決定的な言葉をいつだって千夏は待っていた。

臆病な俺をいつだって千夏は待っていてくれてたんだ。



それに本当の意味で気づいたときには、時既に遅し、だった。














***













「翔」

名前を呼ばれてふと我に返った。

気づけば千夏によく似た顔がこちらを睨んでいる。

「ごめんごめん、薫。呼んだか」

おざなりな謝罪を口にすると、薫は眉間の皺をさらに濃くする。

「呼んだか、じゃないだろ。そろそろ帰るぞ」

「悪い」

また、薫の前で白昼夢におそわれたようだった。
火をつけてだいぶ時間が経った線香が白くなって灰の上に何本も落ちている。

千夏の墓は海のよく見える霊園に建てられた。

霊園の一番高い場所にある小さな四角い石が千夏の墓だった。

潮の匂いが風に乗って鼻に届く。
波の音はここからだと聞こえないけれど、海を見ていると耳に届いてきそうだ。

「悪い、先に車行っててくれ」

俺が薫に言うと、薫は「わかった」とだけ言って俺から離れた。
深く追及しない。
それがわかりにくくはあるが彼の優しさだろう。



潮風に墓に供えられた白い花が小さく揺れた。
まるで千夏が笑っているみたいだ。
すぐそこにいるような、不思議な感覚。

ここからだと海も水平線も一望できる。
千夏もこの景色を見ているだろうか。

霊的な存在なんて今まで鼻で笑っていたくせに、どうして自分の大切な人が関わると途端信じたくなっちゃうのかな。
それともさっきまで感傷的な夢をみていたせいだろうか。

海は正直、苦手になってしまった。
千夏のことを思い出すから。
何をしていても結局思考が千夏に行き着くことに代わりはないのだけど。

潮の匂いも波の音も海の青さも、忘れるな、忘れるなと寄せては返す。

千夏は今でも俺を待っていてくれているんだろうか。
どこまでも優しいやつだからその可能性は否定できない。

俺はポケットの中にあるものを握り締めた。
彼女の父親と繋がる携帯電話。


これが解決したら、俺は……。





「もう少し、待っていてくれないか」





俺のつぶやきは風に溶けて水平線に流れていった。


















イメージソング『a Day in Our Life』(by嵐)
この歌を意識して書いたわけじゃないですが、改めて聞きなおすとけっこう当てはまってますね。自分でも吃驚です。
千夏さん初登場です。この先過去の話にしか出てこないのが切ないですが。駄文で申し訳ない;
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