「やっと目が覚めたみたいだね」 「は・・・はあ」 私のそばで椅子に座っている男の言葉にようやく白昼夢から目が覚めた心地になる。 私はベッドに仰向けになって見慣れない天井をぼうっと見つめていた。 ホントは起きてからずいぶんと時間が経ってはいた。 まだ夢心地でいるのは、ここがいつも起きしている場所ではないから。 あまりに信じがたい事実をできることなら視界に入れたくなかった。 木造建築らしいこの部屋からは、壁や天井から森林の匂いがしてくる。 薄暗い空間を照らすように、優しい光の電球が一つだけ吊るされている。 何もかもが自分の知っている場所とは違っていた。 もっと、くわしく状況が知りたくて体を起こすと、目の前にすっと何かがさし出される。 「どうぞ、お茶だよ。ここの女将さんからもらってきた。少しは気が楽になると思うよ」 「どうも・・・」 私は生返事して男の差し出す白磁のティーカップを受け取る。 揺らぐ湯気に、ハーブの香りが混じって鼻先を刺激した。 女将さん、つまりはこの部屋の持ち主。 この部屋はこの男のものじゃない。 きっとここはどこかの宿。 男の言動から受け取れる情報を、一つ一つ頭にメモしていく。 気がつけば目の前にいる見ず知らずの青年を、無条件に信用しきっている自分に対して、信じられない気持ちになる。 普通に考えれば見知らぬ男に誘拐なりされたのだと慌てふためくだろうに。 きっと普通ではないのだ。 漂う空気や重力、この先の予感にも似た感覚がそう告げている。 それに、この男は、どうも誘拐犯だとは思えない。 どころか見たことも無いいでたちをしている。 夜みたいな漆黒の髪に空の向こう側のように深い青の瞳。 その瞳の色はどこか懐かしさを感じさせる。 こくり。 のどを通る熱い液体が自分でもわかるくらいに鮮明に感じられた。 何かを口にすると、少しずつこの慣れない空間にも現実感がわいてくる心地がしてきた。 「ここはどこなの」 感じ続けた疑問。言葉にすれば滑稽ともなる恐れから避けてはいたけれど、やはり二人きりの空間に響くそれは間が抜けていた。 沈黙が流れる。 沈黙と受け取ったのは私だけかもしれない。 もとよりここで会話といえる会話などなかったのだから。 それでも一、二分程度の間、息をつめて男を見つめた。 「君はどこから来たの」 少し考えるそぶりを見せた後、男は逆にこちらに尋ねてきた。 その妙な問いかけを不思議なくらいいぶかしむことなく、真剣に考えている自分がいた。 生まれ育った場所を聞いているのではないことは明白で。 だからこそ言葉につまる。 私はいったいどこからきたのか、と。 わずかに残っている記憶を、気を失ってこんなところに来る以前の記憶を、必死で呼び戻すために、目を閉じて思案する。 「私はさっきまで・・・・・・田舎の別荘の緑の庭にいて、風が穏やかに流れていて、すぐそばに私の家が見えて、母が手を振ってた。私は微笑って手を振りかえした。木の下で読書していて。隣で妹が熟睡していて・・・・・・」 それから・・・・・・。 続けようとした言葉は、頭の中で生まれては消えていく。 まるで最初から存在しなかったみたいに。 私が消えていくみたいで怖かった。 あの日の空の青さが甦る。 けれど、それは途中で男の瞳の色に摩り替えられる。 一つ、一つ、記憶は塗り替えられていく。 それがたまらなく恐ろしい。 奇怪な場所に一人取り残されたという事実そのものよりも。 続く |