「ところで、さっきアリスって言ってたけど、どうしてその名前を知っているの」 町の靴屋で森歩き用の靴を探しながら、青年に聞いた。 町の外は鬱蒼とした険しい樹海のようなもので、普通の運動靴ではニ、三日で擦り切れて駄目になってしまうんだそうだ。 ここの靴屋、靴屋に限らずこの町の店はほとんど、新品中古品関係なく山積みにして商品を置いてある。 客の少ないバーゲンみたい。 「君が森でうわごとのように繰り返してたから、君の名前かと思って」 「アリスは妹の名前。私はレイスよ」 靴の山から条件にあったものを物色しながら答えた。 ごつくて散策向きの靴で、自分の気に入ったデザインのものというのはあまりに少ない。 それにしても、うわごとで繰り返すのが妹の名とは、なかなかのシスコンぶり。自分のことなのに他人事のように感心してしまう。 「あ、ごめんね。僕も自己紹介がまだだったよ。僕はクロウ。この世界でクロウサギって仕事をやっている」 「昨日も言ってたけど、くろうさぎって?」 ようやく見つけ出して勘定を頼む。ありがたいことにクロウが払ってくれるらしい。 「勘定はハートのエースで。おばさん、これで足りるかな」「じゅうぶんだよ、じゃあおつりはスペードのジャックで」 勘定の様子を見てびっくりした。 すべてトランプのカードで取引きされていた。 これが、ここの紙幣らしい。 いったいどのカードがどれだけの価値があるかなんてまったく見当がつかない。 なんて奇妙な世界。 それを呆然と受け入れている自分も奇妙と言えば奇妙かもしれないけど。 勘定を終えたクロウは「待たせたね」と靴の入った袋を手渡して丁寧な説明を始めた。 「地理から説明すると。 この世界は三つの大陸で構成されているんだ。 僕たちがいる黒の大地、海の向こう側にある白の大地、白と黒の大地に挟まれるようにあるのが女王のいる灰の大地。 世界はこの灰の大地を中心に構成されている。 大陸はすべて、ぽつぽつとある町を除いて迷路のように入り組んだ森で占められている。 大抵の人は森の中で往生して野垂れ死んでしまう。 町の中にいれば安心だけど、いつまでもそうしてはいられないだろう。 隣町の方に家族がいる人もいるし、商売も町の中だけでは成り立たない。 だからそんな人のためにウサギと呼ばれる案内役がいる。 黒の大地にクロウサギ、白の大地にシロウサギ、灰の大地にハイウサギ、というようにそれぞれ違ったライセンスがある。 それぞれのライセンスはそれぞれの大陸の中でしか使えない。 ウサギになるには勉強と修行が必要で、3年間大学校に通ったあと、一年の実務経験が必要なんだ。 簡単な郵便配達から交易馬車の付き添いまで色んな町同士の橋渡しをやっている。 ちなみに僕と相棒はクロウサギライセンスしかもっていない・・・・・・って説明でわかった?」 「・・・・・・。」 クロウの説明を自分にわかりやすいように噛み砕いて噛み砕いて理解する。 今いる場所が黒の大地、そしてクロウはこの大陸内を道案内できるクロウサギ。 「う〜ん、つまりは女王に会うためにはまず灰の大地に行って、そこでハイウサギとやらに案内を引き継いで、また女王のところを目指すってこと?」 「そういうことだね」 なるほど。けっこうしち面倒くさいプロセスを辿らないといけないのね。 この世界がどれほどの広さを持っているのかは知らないが、これはかなり時間がかかりそうだ。 あっちの世界で、母は心配していないかしら。これが夢なら何の問題もないのに。と、そこまで考えて何か引っかかった。 「そういえば、こっちに来る直前に読んでいた本があるんだけど」 「うん?」 どうして、そんなことを今更のように思い出したんだろう。 今思うとそれがすべての原因だったように思う。 あの本には何が書かれてあったのだろうか。表紙に書かれた文字以外、何も見ていない気がする。 あの本がすべての元凶でありすべての答えであったとしたら。 予兆は、父が倒れた日からあったのかもしれない。 異常なほどの睡眠障害。 目覚めることの無い病。思えば私も、眠るようにこの世界に来ていた。 眠るように・・・・・・。 「いや、何でもない。忘れてちょうだい」 顔が青ざめていくのが自分でもわかって、隠すように口元を押さえてクロウに告げた。 これ以上、考え出すと、最悪の答えに辿り着きそうで怖かった。 クロウは「そっか」と納得したのか、気を使ったのか、それ以上は詮索してこなかった。 そのかわり、「ところで・・・」と言いにくそうに口に出した。 「・・・じつは、女王に会えるのはほんの一握りの人間だけなんだ。僕だってまだ一度も会ったことがなくて。それに、女王が民衆の前に顔を出すのは一年に一度の茶会の日だけってなっているんだ」 「えっ? ナニそれ。じゃあ、苦労して大陸越えたとしても確実に会えるかわからないってことっ!?」 「そう・・・・・・だね。それに、もし会えたとしてもすべてのお願いを聞いてくれるとも限らないし」 「・・・・・・」 女王に会って、願いを叶えてもらって、元いた場所に戻る。 すべてが線路をなぞる列車のように簡単に進んで行くと思っていた。だって、ここは私の夢の中なのだから、と。 それはあり得ないのだと、本当は私も薄々感づいている。 これはどうやら現実らしい。現実なのだから、そんな簡単に物事が解決するわけも無い。 当たり前といえば当たり前。 女王という絶対的な存在にすべておまかせしてしまおう、という気持ちでいっぱいだった私の浅はかな期待は裏切られてしまったということになる。 「つまりは、わずかな可能性にかけた旅になるわけだけど・・・・・・どうする? やめる?」 「やめるわけないでしょ!」 この提案には断固反対する。 ここでやめるということは、一生をこの寂れた町で終えるということだ。 それだけは避けなければ。 可能性が少ないにしても、今はそれしか手がないのだ。 どれほどの力を持った人なのかは知らないけれど、女王自身に対しての純粋な興味もないことは無い。 「じゃあ、決まりだね」 にこり、とクロウの笑顔は相変わらずこちらを安心させる。 じわじわと侵していく水のような不安が、波になって引いていく気がした。 それでも、まだ、その水は足元でたゆたっている。 「他に買うものは・・・・・・」 クロウはメモを片手に店を見ていく。 何もわからない私は黙ってついていく。 お店はどれも寂れていて、乱暴に商品を陳列させていた。 夏祭りによくある一夜限りの出店を連想させるほどだ。 町は忘れ去られた遺跡のように静かに息づいている。 もう昼時というのに喧騒というものがまったくない。 人も、店頭に座る店の主人の他は客などほとんどいない。 買い物をする自分たちが珍しいくらいだ。 店頭の主人は誰も、積極的に商売するものは無く、皆諦めたように虚空を見つめる。 この町に住む人はみんな亡霊みたいな顔してる。 ど田舎だってここまで寂しさを感じさせない。 こんなところ、町などと呼べるものだろうか。 続く |